耕田寺の口コミ一覧

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投稿日:2018/06/27 06:31:03 ニックネーム:雨にも負けず菩薩道
居住地:埼玉県 性別:男性 年代:70代
感動日記 2,632 静御前の子供 30/6/28(木)
源義経も静御前も京都から奥州平泉に向かった道は鎌倉街道であったかどうかは定かではないのです。北陸古道の方が近いかと思われます。わたしの母親は新潟県の上越、能生町槇にある曹洞宗の沢木山耕田寺という寺の出です。母親の実家なので、わたしもこの寺の寝間で生まれました。この寺の由緒書きに次のような文章があります。『天皇八十二代、後鳥羽帝の御宇、源義経が奥州へ下る際、米山の麓(ふもと)で静御前が亀若丸を分娩し、堀弥太郎に命じて武良計理穂に養育せしめた後、遂に女を亀若丸に娶(めと)はし、村田九郎次郎と呼んだ、或る日一葉(よう)の小舟が能生の磯部に漂うて来た、舟中には弘法大師作の地蔵尊像と一嬰女があったので、九郎次郎は漁夫に乞うて、仏像は自宅に安置し、嬰女は小出村の、おろく、という者に托して養育した。後、此の像が種々不思議を現したので、清浄の地を相して一宇を建立し、仏像を奉置し、是が即ち耕田寺である。又、嬰女の由緒は、時の名将軍中で一女を挙(あ)げたが、不幸不具であったので、不吉であると埋めやらんとしたが、其の母が悲しみ、守護の地蔵菩薩を添えて流したものである。従って、最初、母が子に考を伝ふの意味で考伝寺と称し、真言宗であったが、四百年の後、正徳年間、曹洞宗となり、耕田寺と改めたのである。』西頚城郡誌 耕田寺の本堂の右には今でもその時の地蔵菩薩が大きくて立派な厨子に安置されています。そして本堂の上には、その時のものだと言われている小舟が置かれています。そして耕田寺の由緒書が正しいとすれば村田家の子孫が今もおられます。だとするならば義経と静の血が面々と繋がっているのです。

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