斎藤道三とお寺・神社

更新日2022.06.22

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戦国大名『斎藤道三』(さいとうどうさん)とは

戦国時代の武将であり美濃の戦国大名


出典:wikipedia

戦国の乱世に身を置き、名もない僧侶から戦国大名にまで成り上がった人物です。

父は松波基宗。道三の幼名は「峰丸」といい、京都妙覚寺で得度を受けて僧侶となったと言います。

還俗してからは、油商人となり行商として成功していながら、一念発起して商売をやめ、槍と鉄砲の稽古をして武芸の達人になったといいます。

それからは、武芸と才覚で次第に頭角を現し、美濃を治めていた土岐氏から信頼を得ることになりました。

同じく信頼を得ていた長井長弘の除去を画策して、殺害を企て、数々の遍歴と才覚を持って美濃の国盗りを成します。

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『斎藤道三』の略歴

歴史の表舞台に出てくるまでには様々な諸説があります。
明応3年
(1494年)
山城乙訓郡西岡で生まれたとされる。
※生年については永正元年(1504年)とする説もある。
永正元年
(1504年)
京都妙覚寺で僧侶となる。法名は法蓮房。
その後、油商人から武士への道へ進み、長井長広に仕える。
大永7年
(1527年)
土岐頼芸の信頼を得て、土岐氏の家督相続でも貢献する。
享禄元年
(1528年)
土岐頼芸の愛妾、深芳野をもらい受ける。
享禄3年
(1530年)
同じく信頼を得ていた長井長弘を殺害する。
天文4年
(1535年)
土岐氏の美濃国覇権争いが美濃全土に広がる。
天文7年
(1538年)
美濃守護代の斎藤利良が病死。その名跡を継いで斎藤新九郎利政と名乗る。
天文8年
(1539年)
土岐氏の覇権争いの最中、和議が成立するが、密かに裏で利政(道三)が調略を進めている。
居城である稲葉山城の大改築を行う。
天文10年
(1541年)
利政の策略で土岐頼満(頼芸の弟)の毒殺が契機となり、頼芸と利政との対立抗争が開始した。
天文11年
(1542年)
土岐頼芸を尾張へ追放し、事実上の美濃国主となる。
天文16年
(1547年)
織田信秀(信長の父)が稲葉山城攻めを仕掛けるも、利政は籠城戦で織田軍を返り討ちにし、壊滅寸前にまで追い込む。
天文17年
(1548年)
織田信秀と和睦し、利政の娘「帰蝶」を信秀の嫡子織田信長に嫁がせる。
天文21年
(1552年)
織田との和睦を機に、織田家の後援を受けて利政に反逆していた者は滅ぼされ、利政は完全に美濃を手中に治めることになる。
天文23年
(1554年)
家督を子の斎藤義龍へ譲る。
常在寺で剃髪入道を遂げて道三と号して、鷺山城に隠居する。
弘治元年
(1555年)
道三は義龍の弟である孫四郎や喜平次らを偏愛したため、義龍が弟達を殺害し、道三に挙兵してしまう。
弘治2年
(1556年)
長良川の戦いにおいて、大軍の義龍勢に討ち取られる。

関連する寺院・神社

常在寺
岐阜県岐阜市梶川町9
☞ 斎藤道三肖像画と斎藤義龍肖像画が所蔵されている寺院。
妙覚寺
京都府京都市上京区下清蔵口町135
☞ 幼少の頃、法蓮房の名で僧侶となった寺院。
七寶山 聖徳寺
愛知県名古屋市守山区白山3-101
☞ 斎藤道三と織田信長が会見した寺院。※洪水や戦火で移転し2ヵ所に分かれる
八事山 聖徳寺
愛知県名古屋市天白区八事山552
☞ 斎藤道三と織田信長が会見した寺院。※洪水や戦火で移転し2ヵ所に分かれる

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